ワンランク上の肺がん検診
Hの創業以来の夢鍛冶屋の息子として生まれ育ち、自動車修理を身体で学んだS氏の技術には、技能と一体となった強さがあった。
机の上でいかに見事な設計図が描けても、それがモノとして作られなければ何の意味もない。
設計と製造はモノづくりの両翼として緊張ある均衡を維持しなければならない。
製造現場は人件費の安い国に移管するという90年代の日本の製造企業が犯した誤謬は、このようなモノづくりの基礎の放棄につながったが、Hが誤らなかったのはS氏のDNAだと言ってもいい。
K氏などは次のように言う。
K氏の言葉は辛錬である。
しかしここにはS氏への愛情が惨んでいる。
実際、Hの技術精は、「オヤジができなかったことを、俺たちがやってやろうじゃないか」という心意気であると言う。
大雑把な言い方になるけれど、結局、あの人は「単純技術社会の神様」だった、と私は思う。
現在のように、コンピュータを核にした複雑なシステム社会には、いかに天才とはいえ、もはや適合できなくなった。
事実、シビックやアコードなどのヒット車は次世代の技術者の手でつくられたと言える。
(「HSの人生」)2004年2月、HがGEと共同で小型ジェット機エンジンの事業化に踏み切ると発表したとき、社長のH氏はこう付け加えるのを忘れなかった。
創業者の夢の持続力。
企業の寿命を左右する最大のものは、創業者が残したこのような思いであり夢にあるのではないか。
S氏のそれは極めて強靭なものであった。
その最晩年の病室逸話は、象徴的である。
HSは妻Sに背負われて病室のなかを歩きまわっていた。
Sが疲れて立ちどまるとパジャマ姿のSが肩をボンボンと叩いた。
それは動き続けることを促す合図だった。
(中略)「おかあさん、早くそこをあけてくれ」SはSに命じた。
「おとうさん、いま夜中ですよ」SはSをたしなめた。
(中略)「おかあさん、止ったらダメだ。
歩け!歩け!」「航空機は、創業以来のHの夢でありました」新規事業への参入に際してこれほど説得的な言葉はなかろう。
S氏の人生は、子供の頃に浜松で見たアメリカ人パイロットの飛行ショーに陶酔したことから始まっている。
乗り物が好きで優れた性能のエンジンに憧慢して、終戦後の焼け跡で自転車に付ける補助エンジンの製造販売からはじめ、二輪車を経て4輪車に進出してきたその歩みは、航空機を作るための長い迂回路であったともいえた。
Hは、今も創業者、HS氏の夢を追い続けている企業なのである。
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